国語と数学の奇妙な関係(1)
こんにちは、つくば国語塾の塾長です。
「世の中は数学ができるようになる人間とそうでない人間がいる」
生徒が文理選択で悩んでいるときに私が使う言葉です。学校が公立の進学校だと、学校側が理系に進ませようとして、努力すれば理系科目(数学・理科)でも克服できると吹聴する先生もいらっしゃいます。
しかし、中学校までの数学の下積みが足りない生徒が先生の言葉に乗ってしまい、勉強時間の7割~8割を数学に注ぎ込んでも全く徒労に終わってしまうケースを見て、生徒への慰めの言葉として使っているのです。
つまり、地方進学校は
国立理系>国立文系=私立理系>私立文系
というヒエラルキーが厳然と存在し、このラインの中の私立文系は蔑まれる運命にあり、生徒はその区分に行きたくないと考えるようになります。
そこで、次のフレーズが続きます。
「世の中の文理の比率は8:2」
です。
地方の進学校は特に理系優位であることが多く、数学がその子の将来を決するような洗脳が行われていますが、世の中の仕事はほとんどが文系に分類される仕事です。数学ができなくても生きていることは当然です。
ここで私が強調したいのは、数学ができなくてもよいと言っているわけではなく、小学校・中学校の基礎を省いたままで数学をやっても多分うまくいかないということであり、高校から高校数学を努力してもあまり効率的ではなく、ほぼ徒労に終わってしまうことが多いので、数学を捨てるか、数ⅠAまでを暗記でやり過ごすべきだと主張していることです。
上記のことを理解していただくなら、やるべきことが高校数学ではなく「小学算数」と「中学数学」だという高校生が多いはずなのに、多くの生徒さんが残念ながらウンウン唸りながら高校数学をしています。
ここまでで、数学だけについて考えてきましたが、次回に数学と国語の関係を考え、合わせてAI時代の学力についても考えます。