つくば国語塾

つくばにある小・中・高・既卒を対象とした国語(他に小論文・AO推薦対策・英語)の塾です

国語と数学の奇妙な関係(2)

こんにちは、つくば国語塾の塾長です。

 

前回「世の中は数学ができるようになる人間とそうでない人間がいる」ということを述べさせていただきましたが、今回は国語と数学の関係について考えてみたいと思います。

 

私が考えた仮説です

 

「世の中には数学と国語が同じ種類の学習だと理解している人間と、数学と国語は全く別種類の学習だと考えている人間がいる」

 

数学音痴の私がこのように考えるに至ったのは、国語の学習には数学的な思考が大切なのではないかと思ったからです。

 

通常言われる数学と国語の共通性は「論理的」な部分です。すなわち日本語で論理が書かれているのが国語(現代文)であり、数式で書かれているのが数学だということです。しかし、この説明では納得いかない人がいるのではないでしょうか。

 

多分、この類似性はその教科を学習する際に、どのようにその教科を勉強するか(或いはしているか)によって変わってくるのではないでしょうか。

 

貴方は数学をどのように学習していますか?

数学は単元ごとに数式のルールを学び、演習問題でそのルールの確認を行いながら解法を学んでいるのではないでしょうか。もう少し具体的に説明すると、高校生の貴方が4ステップやチャートの問題を解くのにあたって、自力で解けなかった場合、解答を参照しながら、解答のプロセスを追いかけて行きますが、解答が詳しく書かれていないため(或いは自分にとって省略されていると感じているため)、解答の説明がわからなくなり、塾や学校の先生に質問しようとします。

 

この、証明や数式の展開にみられる数学の記述には「論理」が内包されています。その「論理」が理解できない人は解法暗記の方向に向かっていくのではないかと思われます。

 

一方、国語(現代文)は数学と違いルールの代わりに言葉の定義を知らないと読めません。しかし、それさえ理解できれば「論理」の中で予測・推測しながら読むことが可能であり、数学と違って不必要な修飾部分が出てきますが、それを捨象して「論理」だけに限定して考えれば数学より簡単だと言えるのかも知れません。

 

上記のことは繰り返しますが、あくまで私が考える仮説であり、この仮説の検証のために数学からのアプローチを考えていますが、残念ながら数学の論理がわかるひとだけしか対応できません。

 

しかし、逆に言えば数学が圧倒的にわかっている人は国語が読める潜在力があるのではと考えています。

 

うまく説明できず、すみません。